北京旅行2日目・前半
こちらの続きです。
到着日は余裕の一日でしたが、二日目・三日目とハードスケジュールです。 何せ、短い期間に、目一杯の行程が詰め込んであります。 朝早くに起きて、あちこちと回って、夕方まで名所旧跡を観光して、夕食後も、演劇などを鑑賞するという、超過密ハードスケジュールです。
まあ、でも、パック旅行なので、バスで連れて行ってくれるし、観光する時間もきっちり決めてくれていて、見所だけを「つまみ食い」と言う感覚で、超濃縮されている観光旅行です。
さて、二日目の朝は、5時15分にガイドさんからモーニングコール、5時半に目覚ましを掛けていたのに、それよりも早い! 女房と娘と3人部屋なので、洗面・トイレが超過密。 6時にビュッフェスタイルの朝食を食べて、6時40分にはホテルスタートです。
この日は日曜日だったので、道は比較的空いていました。 昨日の帰りは、土曜日でしたが、国慶節の連休の振り替えで、土曜日でも労働日だったらしく、道は結構混んでいまして、あちこちで渋滞に巻き込まれました。 こちらの道は結構広いのですが、それでも、沢山の車で一杯です。 それに、運転が荒っぽいです。 ちょっと隙間が有ると、どんどん割り込んできます。 それに、前が空いて、少しでもアクセルワークが遅れると、後ろからクラクションの嵐です。 大阪の運転も結構きついですが、目じゃないですね。 北京に比べたら、大阪の運転なんて優しい部類ですね。
さて、今日は、郊外の観光からスタートです。 朝のうちに市街地を抜けて来ました。 北西部に位置する頤和園(イワエン)に朝早く着きましたが、既にこの混み様です。
この頤和園(イワエン)は元々は、貯水池として開発されたようですが、贅沢で清朝の財政を揺るがした西太后の時代に巨費をつぎ込んで、避暑地とされたそうです。 今見ても大変な贅沢な作りになっています。
入り口の獅子はどこにもありますが、象は珍しいですね。 しかも植木で作ってあります。
入り口の階段の龍の彫り物は、この後、いくつかの建物で同じ物を見ることになります。 龍は、皇帝の象徴で、皇帝だけが使える物なんだそうです。
今日は、あまり天気が良くありません。 霞んで見えます。
奥に見える小高い丘は、手前の池を掘った土で出来た物なんだそうです。 まあ、贅沢三昧していたのですね。
遠くに霞んで小さな島と橋が見えていますが、あそこまでで、まだ、この池の1/4ぐらいしか見えていないんだそうです。 とんでもなく大きな池を作った物ですね。
頤和園(イワエン)の庭では、こんなおじさんが、大きな筆と小さなバケツを抱えて、水で地面に綺麗な字を書いていました。 達筆ですね。 下地になる黒い石がちょうど墨の感じになって良い感じですね。
中庭にあるこの石は、石灰岩が浸食されて出来上がった自然の造形だそうです。 こちらでは、この手の石(岩?)を庭に飾るのが、成功して金持ちになった印なんだそうで、こぞって庭に飾るんだそうです。 ここにあるのは西太后が置かせた物で、もちろん、この地では一番大きい物なんだそうです。
庭の中に巡らされた長い回廊の欄間には、綺麗な絵が描かれています。 色が鮮やかですが、北京五輪の関係で修復された物なんでしょうかね?
回廊の脇の石畳は玉砂利を組み合わせて、洒落た模様が描かれています。
こちらは龍なので、皇帝の場所でしょうかね。 こちらも色鮮やかですね。 昔はこうだったんでしょうが、日本の古いお寺や名所旧跡というと、「苔むした」という感じが頭にたたき込まれていますので、こうした、あまりに色鮮やかな物は、なんだか、本物らしくない胡散臭さを感じますが、まあ、これは本物なんでしょうね。
頤和園(イワエン)の全体図が有りました。 確かに大きな池ですね。見えていたのは、ほんのちょっとの領域ですね。
さて、頤和園(イワエン)はこれで終わりにして、次も、混まないうちに早めに行きます。
同じく郊外にある明の十三陵のうち定陵と言うところで、十四代目の皇帝だそうです。 十三陵有るうち、唯一、発掘された物だそうですが、発掘後の保管の悪さや、文化大革命時代に紅衛兵たちによって破壊されたりしたので、他の陵墓は発掘されないんだそうです。
ただ、この明の十四代皇帝も贅沢三昧で政治に関心を示さず、明の滅亡の引き金を引いたと言われているそうです。 頤和園(イワエン)の西太后と言い、定陵の第14代皇帝万暦帝と言い、亡国のきっかけを作った人が作った物の方が、後生に残っていると言うのも皮肉な物です。
こうした、なんというのでしょうか、モニュメントと言うのか、こちらでは、入り口脇に必ず有りますね。
色口を入ると、遙か奥の方に建物が見えます。 あの建物は地上に有る墓碑の為の建物なんだそうで、実際の陵墓はあの下の地下27mに有るんだそうです。
建物の裏まで登っていって、入り口から地下深く入っていくと、突然、大きな空間が広がります。 4つぐらい空間が有って、地下宮殿の形態を整えています。 自分が生きているうちの20歳代に作り上げたそうで、実際に使われたのは30年以上も後のことになります。 この地下宮殿は、死んだ後も、生きているうちと同じように生活できる形態を整えたんだそうです。 それにしても、でっかいです。 天井も壁も全て大理石を削りだして作ったんだそうで、この墓への膨大な出費が明の財政を圧迫し、軍事費の不足が周辺国からの進入を許すことになったそうです。
大理石の玉座ですが、これはイミテーションで、本物は博物館にあるそうです。
日本で言えば、信長・秀吉の時代、たいそうな物を作り上げた物です。 まあ、その時代、中国は世界の中心でしたからね。
技術的にも、相当な学者が参加したのでしょうね。 こんな重たい物、その時代に、どうやって取り付けたの?って感じですね。
再び地上に上がってきて、出てきたところです。 こうした陵墓は盗掘を防ぐために、沢山の入り口らしき物を作って、偽の入り口にして守ったんだそうです。 もちろん、周りは城壁で囲まれているのですが、それでも心配だったのでしょうね。
出てきたところに、先ほど、入り口から見えていた建物が有りました。 中に墓碑が有ります。
でっかい墓碑ですね。 位牌の様でもあります。 皇帝なんで、墓碑にも屋根を付けて守って居るんだそうです。
さて、だいぶ、長くなったので、二日目の後半は次回に回すことにします。
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